クルーズ旅行に行く前、私の胸には様々な希望が膨らんでいました。まず第一に、日常とは違う非日常の空間で、思いきり羽を伸ばしてリフレッシュしたいという期待が大きかったのです。仕事や家庭の忙しさから離れ、時間に縛られない贅沢な旅のスタイルはどういうものなのか、実際に体験してみたいという思いが日を追うごとに強くなっていました。インターネットやガイドブックで見た、豪華客船の写真や、デッキでのんびりくつろぐ人々の様子は、まるで映画のワンシーンのようで、いつか自分もあの中に溶け込みたいと憧れたのです。
また、クルーズといえば「食事が豊富で美味しい」という評判を耳にしていたので、美食の旅を思う存分楽しみたいとも思っていました。ビュッフェやコース料理、バーやカフェ、さらにはテーマレストランなど、船内には多彩な食事の選択肢があると聞いていました。普段は時間に追われてゆっくり食事を味わう余裕のない私にとって、1日3食では足りないくらいに充実したグルメ体験が待っているのではないかと期待していたのです。つい、自分の胃袋は大丈夫なのかと心配になるほど、あれもこれも食べてみたいという欲が高まっていました。
そして、エンターテイメントの充実度に対する期待も大きかったです。クルーズ船には劇場やショーステージがあり、夜になると華やかなショーやコンサートが行われるという情報を得ていました。プロのアーティストによるステージパフォーマンスや、時には乗客参加型のイベントもあると聞き、自分もその場の熱気や楽しさを肌で感じたいと思ったのです。普段はあまり派手なイベントに参加しないタイプの私でも、海の上という特別な空間なら、思い切って新しい自分を発見できるのではないかというワクワク感がありました。
一方で、寄港地での観光や異文化体験にも大きな期待を寄せていました。クルーズの醍醐味は、移動手段としての船がそのままホテルの機能を果たし、寝ている間に次の目的地に到着しているという点にあると感じていたのです。朝起きるとまったく違う国や都市の景色が広がり、その土地ならではの文化や歴史に触れられる—そんな非日常的な体験に強く惹かれました。もちろん、現地の市場やレストランでグルメを楽しんだり、お土産探しをしたりするのも楽しみでしたが、それだけでなく、その土地の人々との触れ合いを通して新しい価値観を得たいという希望も持っていたのです。
また、クルーズの旅は幅広い年齢層や国籍の人が集まるため、新しい出会いや交流も期待していました。言葉や文化の違いを超えて、多くの人々と交流し合えたら、自分の世界が大きく広がるのではないかと思っていたのです。特に英語に対しては少し苦手意識があったものの、それを克服するチャンスでもあると考えていました。船内や寄港地でのコミュニケーションを通じて、国際的な感覚を身につけるきっかけにしたいという願いがあったのです。
さらに、クルーズ旅行そのものが「贅沢」「特別」というイメージを持っていたため、自分へのご褒美や人生の節目を祝うという意味合いもありました。普段はなかなか手が届かないように思えるクルーズ旅に思い切って行くことで、新たな目標や意欲を得られるのではないか。あるいは、今までの自分には想像できなかったような景色や体験を通じて、一回り大きくなれるのではないかと期待していたのです。実際、私にとってのクルーズは「人生の新たなステージに足を踏み入れるきっかけになるかもしれない」という大きな希望を抱かせるものでした。
そうした多くの期待や希望を胸に抱きながら、出発の日を待っていた私は、まるで遠足前夜の子供のように眠れない夜を過ごすこともありました。どんな景色が待っているのだろう、どんな美味しい料理があるのだろう、どんな人々に出会って、どんな思い出が作れるのだろう—想像するだけで胸がいっぱいになり、クルーズのパンフレットや動画を何度も眺めては、期待を膨らませたものです。旅の準備が整うにつれて、実感が湧き、同時に多少の不安もありましたが、それ以上にワクワクが勝っていたのを覚えています。
こうしてまとめてみると、クルーズに行く前の私の希望は、日常からの解放、美味しい食事への期待、華やかなエンターテイメント、異文化との出会い、国際交流、新しい自分の発見、そして自分へのご褒美と成長のきっかけ—と、本当に盛りだくさんでした。まさに、クルーズ旅行そのものが夢や希望を乗せて進む大きな船のように思えたのです。心の中で描いていたイメージは膨大でありながら、実際の旅はそれを上回る素晴らしさを与えてくれたと今では感じています。
出航前に抱いていたこれらの希望が、実際にクルーズという壮大な旅を通してどのように形になり、私の人生を彩る要素となったのかを思うと、今でも胸が高鳴るのです。
コメントを残す